60. 請求項と技術思想の相違

請求項は、技術思想をそのまま表現してはいません。私の発明の中で、比較的わかり やすいものを題材に、発明者である私が考えていた技術思想と、請求項との相違点を 説明します。

特許第2751424 号の請求項は、次のとおりです。

【請求項1】予めさまざまな心理的条件下で質問への回答を得て、それらの回答から 本人度算出のための知識データを得る知識データ作成手段と、操作者に対する質問を 複数提示する提示手段と、提示された前記複数の質問への操作者の各回答から、各回 答毎の多値の本人度を前記知識データを用いて算出する本人度算出手段と、前記本人 度算出手段によって算出された各回答毎の多値の本人度を総合評価して得た総合評価 値を所定の閾値と比較して本人であるか否かを判別して、個人照合を行う総合評価手 段と、を具備することを特徴とする個人照合装置。

発明者である私が、発明の時に得た技術思想は、次のとおりです。

「価値観はコピーできないし、IDカードのように置き忘れたり盗まれたりすること もなく、常に本人の脳のなかにあるので、価値観照合は究極の本人照合手段となるは ずである。価値観は細かく見れば個人ごとに相違するので、価値観で本人照合ができ る。しかし、価値観をそのままデータとして取り出すことは不可能である。価値観を 反映すると思われる多数の質問への回答データを、個人照合可能なデータとして取り 扱える。ただし、回答時の本人の心理的条件が質問への回答に影響を与える可能性があるの で、あらかじめ調査して、安定した回答を与える質問を選択しておく必要がある。」

このように、発明者である私が考える特許第2751424 号の技術思想は、「もの」の組 み合わせでは表現されていません。むしろ、「SはAである。」というような命題を 多数含む複数個の文章となります。例えば、「価値観はコピーできない。」,「価値 観は置き忘れたり盗まれることもない。」,「価値観は常に本人の脳の中にあ る。」,「価値観は細かく見れば個人ごとに相違する。」,「価値観で本人照合がで きる。」,「価値観を反映すると思われる多数の質問への回答データを、個人照合可 能なデータとして取り扱える。」という命題の集合です。このような命題の集合が、 発明者である私からみた、この発明の本質的な技術思想です。

前記の命題の集合は、「もの」も「方法」も表現していません。発見や知見を表現し ています。この発見や知見を応用した装置として、請求項1に記載の発明がありま す。

では、技術思想そのものである命題の集合を、なぜ請求項に書かないのかという疑問 が発生します。それは、技術思想を請求項に記載しても侵害品と請求項の比較が非常 に困難となり、権利活用ができないし、技術思想そのものを保護する法的手段がない からだと思います。

技術思想である発明を保護するといっても、同じ技術思想を持つとか、同じ技術思想 を表明することまで独占すると、思想信条の自由や表現の自由の侵害となります。し たがって、技術思想をそのまま保護するわけにはいきません。技術思想が「もの」や 「方法」や「生産方法」という人間の脳の外に具現化されたものを独占させる形で保 護するということが必要になったのだと思います。

現在の特許法では「発明とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のも の」とされ、「請求項には出願人が発明を特定するために必要と認めるすべての事項 を記載しなければならない」としています。したがって、特許法第2条1項の規定だけからすると、 技術思想である命題の集合を請求項に記載してもかまわないことになります。 しかし、命題の集合は、「もの」も「方法」も表現しないので、特許法第2条3項の規定から すると、命題の集合として表現された技術思想は請求項には記載できないことになります。

本来は、命題の集合体として表現された技術思想の方が、請求項として記載された発明 よりも応用範囲や発展性がある重要なものです。なぜなら、命題に対しては推論を通じて、 新しい命題などの知識を合成できるからです。

しかし、それが請求項として記載された発明では、推論のネタにできません。 また、新しい知見や発見を含む命題集合で表現された技術思想は、後続の発明者の発明を刺 激する最も有益な情報だと思いますし、請求項記載の発明の解釈にも使用すべきもの だと考えます。
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